Original Post from 復興ハングアウト:
現地協力者 村上さんの記事 <被災地 気仙沼 報告>
場所:宮城県気仙沼市 鹿折(ししおり)地区 Kesennuma,Miyagi
http://goo.gl/maps/dHDra
鹿折復幸マルシェで行っている語り部ガイド。毎日のようにあの船の前に出向き、多くの方々に経緯・現状について説明を繰り返している。そんな私が今思うことです。
「共徳丸、彼も私達と同じ、被災者の一人では」。最近彼と対峙した時そう感じることがあった。
津波に巻き込まれ、火災に焼かれたあの日から、私達とともにこの町にいる。もし今彼の思いを聞けるなら何を語ってくれるだろう。あの勇壮な姿で風を切って大海原を駆け巡り、もっともっと働きたかったと語るのだろうか。あるいは、私達に美味しい魚をたくさん届け喜んでもらいたかった、そんなことを語るのだろうか。そして何より、この町の多くの人々に恨み、憎まれながら解体されるであろうことの無念さを訴えるのだろうか。
彼が語ることは決してないが、勝手に思いを馳せるに、さぞ悲しく辛い思いでいることだろうと思ってしまう。
報じられる撤去・解体に向けた動きについてあらためて考えてみる。各々に立場、抱えているものが異なるし、当然に思いも異なる。答えを導きだすことは容易くはない。
私見を述べさせてもらうなら、彼は本来持つ役目は果たせなくなったが、今、そしてこれからの将来に向けてのある期間、彼にしか出来ない彼の新しい役割があると思う。
時として我々人間の都合など微塵も鑑みずに荒れ狂う、そんな自然の脅威や威厳を多くの人々に語ってくれるものだと思う。時には私達と一緒に、そして時には私達が忘れかけた時にも。
数百年に一度、地球の特定の場所でしか起こりえない大震災、現在の世界人口が約70億人だとして、私達被災者とあの共徳丸はどれだけの確立であれだけの稀有な体験をし、そして生き残ったのだろう。
あらためて、伝え続けていくことの意義を考えさせられる気がする。
私達人間が忘れてしまう生き物だとして、伝えを途絶えさせてしまったとしても、彼があの日からその時までをつなぎあわせ、私達の体験と歩んだ復興の足跡を静かに語ってくれるだろう。彼が朽ち果てるその日がおとずれるまで…。
決して残された時間は長くはないと感じるが、この町で、あの場所で、彼でしか出来ない、そんな役目のことを考えながら、彼の将来が決まることを望みたい。
※あくまで一個人としての私見であり、異なる意見・考えに対して対抗、排除を述べるものではありません。感傷的な文面についての意見もあるかとは思いますがご容赦ねがいます。
(村上さんは宮城県気仙沼市在住の方です。鹿折復幸マルシェに勤められています)
鹿折復幸マルシェ:
http://www.facebook.com/ShishioriMarche
第18共徳丸:
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111210-OYT1T00032.htm
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