2012年10月24日水曜日

今日の毎日の夕刊:特集ワイドは面白かった。 「愛国」の名の下の罵詈雑言 「心の余裕」なくなった? ・戦争知る世代減少 ・長引く経済の停滞 記者:藤田祐子 ”売国奴””国賊” 今は第2次世界大戦中...

今日の毎日の夕刊:特集ワイドは面白かった。「愛国」の名の下の罵詈雑言「心の余裕」なくなった?・戦争知る世代減少・長引く経済の停滞記者:藤田祐子”売国奴””国賊”今は第2次世界大戦中かとおもわんばかりに、今の日本のネット界に溢れかえっています。時折、僕が紹介している「ブログ村トーナメント」も、そんなトーナメントであふれている。それに、彼らは、小学生レベルの国語力しか持ち合わせていないようだ。僕が作成したトーナメントでも、かくかくしかじかの記事はご遠慮くださいと書いても平気で参加してくる。厚かましさ、厚顔無恥なのかも知れないが。「ゆとり教育」詰め込み主義の受験戦争を過ごしてきた者にとっては、その創造性を重視した大きな趣旨には賛成してました。寺脇研ら文部官僚の過ちは、現場の先生を無視し、先生らの準備不足による混乱にあったと思います。その根幹となる「総合学習」は、発想として、とても優れたものであったと思い、現場の先生の中には、非常に興味深い授業を行なっていた先生もいるようです。学問とは、バラバラに利用し、考えるものではない。まさに、”総合的に”考えるものです。が、非常に楽な学生生活を送らせた彼らを世に放ったことは、日本社会に多大なる影響を与えた。世界史が必須で、ろくに日本の歴史を知りもしない彼らに、いっちょ前に、"ナショナリスト”を名乗られると、受験の時に不利だと言われた日本史を高校時代に履修し、司馬遼太郎を始めとした小説家や歴史学者から大いに学び、大学の進路も両親からは、歴史方面を勧められ、日本的美、もしくは美意識、文化、明治時代に日本に来日した外国人の多くを、感嘆させた江戸時代の教育水準の高さ、農民らの屈託のない笑顔、おとぎ話の国かと思わせた日本の田舎風景、を誇りに思い、微笑ましくも思う、一応、愛国者の一人であった僕には、彼らの存在は、大いに不愉快なのだ。ちなみに、日本の学力低下を嘆き、「ゆとり教育」を大いに批判していたのは、大学時代、ろくに勉強などしていなかった70年代安保世代、全共闘、団塊の世代の連中です。僕は、もう40で、よほど戦争が深刻化しない限り、徴兵にはひかかっらないし、また現代の戦争は、中東のように、フリージャーナリストらを狙い打ちにしたり、国土全体が戦争の舞台になっている国もまだまだ多いが、基本的に現代の戦争は局地戦になると思う。田原とかいうバカが、「もし、日本に攻めこまれてきたら」などという想定を大マスコミで取り上げるバカもいるが。安全保障とは、その仮想を誤れば、その政策は大いに狂う。スパイ衛星が張り巡らせてる現代、島国である日本に侵略しようとすれば必ず引っかかる。彼は、ドキュメンタリーを撮っていたというから、もう少しマシなものを撮っていたのかと思えば、ヤラセのエロドキュメンタリーを撮っていたそうな。興味のある方は、ウィキペディアで。成り上がり者は、所詮、成り上がり者。そんな番組を制作するのは、すべてがバラエティー化したTV界の象徴でもある。気のせいか、早稲田は、マスコミ界に多く存在するようだが、ろくな人間がいないと思うのは、僕だけであろうか。なので、中国、台湾または韓国と戦争したければすれば良いと思う。こんな時代に生きる自分の人生にも未練はないしね。ただし、第二次大戦後のように、 一部、軍部のせいにしたり、一般国民は被害者であったなど、口が裂けても二度というなよ!!第二次大戦も、歴史を手繰り寄せれば、日露戦争の戦後処理に大きな不満を持った国民の不満に源があり、途中から嘘を発表したが、その戦勝記事に一番、喜んでいたのも一般国民だ。それが終わると、「俺ら、被害者だ。」だ。それらをすべて教育のせいにするのは、どうかと思う。子供だけでなく、大人も存在していたにも関わらずだ。ナチス帝国の頃には、露見すると、日本の非国民の比ではないくらいの罰・厳しい目が待っていたにもかかわらず、ユダヤ人を匿ったりしたエピソードが数多くあるにもかかわらず、日本では、せいぜい徴兵拒否、戦争反対を訴え、「非国民」呼ばわりするのみ。闘うとは、そういうことではないだろう。結局、市民レジスタンスの結成されなかったのも枢軸国では、日本のみ。これらの事は、今のじじぃ共が、甘い汁を見せびらかされ、「騙されたー」と大声で叫んでいる構図とそっくりだ。明治維新時、何度も他国からの内戦の誘惑、植民地化の布石があったにも関わらず、彼ら偉人らの目の前の戦争の勝ち負けよりも大局的な観点があったことにより、それらが避けられたにもかかわらず、彼らの努力により形成された国とは、かくも無残になりけり。僕は、第一線に送り込まれながらも、戦争のことは一切話さず、黙々と4畳半映画を撮り続けた小津安二郎カラ学びたいと思う。できてない僕は、黙っておけないことは、大声で叫んでしまうがね。追伸)彼ら、罵詈雑言を繰り返す連中は、「国を思って」と言って、相手に有無を言わせず、この歴史と長い伝統のある国を焦土と化すまで戦争を続けようと考えていた長い日本歴史にも、存在しない大馬鹿野郎なのだ。         2012年10月23日              KI,Kzuo Ito又はTogusa,トグサ






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