2012年12月24日月曜日

中々面白いネット文化論。 日本に、なぜブログジャーナリズムが発展しないのかよくわかる。 以下、抜粋。 しかし、日本のケータイのメール文化は、実は世界的にも極めて特殊なものでした。もちろん欧米のケータイ...

中々面白いネット文化論。日本に、なぜブログジャーナリズムが発展しないのかよくわかる。以下、抜粋。しかし、日本のケータイのメール文化は、実は世界的にも極めて特殊なものでした。もちろん欧米のケータイなどにも、SMSを搭載しているものはありましたが、その場合でさえも大抵は通話で済ませることが多かったと聞きます。それに対して日本の携帯電話では、わざわざ端末の狭い表面の中にメールボタンを、それも最も目立つ配置で置いてしまうほどに、メール機能が重視されていたのは、皆さんもご存知かと思います。しかも、日本のケータイメールは、使い方も極めて特殊でした。「絵文字」の文化などは、その典型でしょう。端的に言えば、ケータイのメール文化は、PCのメールよりも遥かに刹那的で、表現の自律性を欠いています。それは、口語の「おしゃべり」に近いものです。LINEが取り込んだメール文化 おそらく、この文章を読んでいる人のほぼ全員がガラケーで、こうしたコミュニケーションをしていたはずです。しかし、それは誰かが教えたものだったのでしょうか? もちろん、違います。こうしたメールの使い方は、単に私たちの欲望がそうさせてきただけに過ぎません。この日本のメール文化は、誰が指示したわけでもなく、ボトムアップ的に創りあげられてきたものです。この自発的な文化が突如として断ち切られたのが、近年のスマホブームなのです。そこに滑りこんできたのが、まさにLINEでした。LINEが復活させたもの―それは、まさにメール文化なのです。さて、こうした絵文字の文化は、おそらく利用法の水準でもLINEに引き継がれています。 こうしたコミュニケーションは、もちろんPCメールの文化から出てくるものではありません。特に決定的だったのは、メールに気付いた瞬間に即レスする文化が生まれたことです。これによって、メールの返信へのタイムラグが、相手の自分への興味の度合いを測る「指標」になりました。しかし、そもそも日本人の情報技術利用は、根本的に「おしゃべり文化」の要素は強いのです。また、この文化はPC Webにも及んでいます。「リアル」という言葉があるのをご存知でしょうか。特に男性読者は知らない方が多いと思うので簡単に説明すると、これはブログなどをまるでTwitterのように高頻度で更新していく「行為」です。主に女子中高生によって行われており、例えば、そこではTwitter のつぶやきのように「腹減った」など、自分の生活やたわいないモノローグがだらだらと垂れ流されていくのです。どうも日本的インターネットには常に「チャット化=おしゃべり文化」の圧力が存在しているようです。こうして見ていくと、スマホというプラットフォームにおいてLINEが登場したことは、何も不思議ではないと言えそうです。少なくとも日本においては、私たちはあらゆるネットサービスを「おしゃべり文化」の楽園に仕立て上げてきたわけですから。チャットは、日本のネットサービスの保守本流の1つなのです。



宇野常寛氏責任編集の「PLANETS vol.8」の中からLINEなど、日本のチャット文化についての論考を紹介します。







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